四十歳の誕生日なので、何かをしたいと思っていた。

 ソロウエディング、という言葉を知ったのはいつだっただろうか。
 えっ結婚してなくてもウエディングドレス着られちゃうの?! 最高じゃん! 私のためのシステムか、いい時代になったな……としみじみ思ったものだ。
 私は自分のことを結婚願望があるほうだと思っていた。しかし不惑を目前にして、それは実のところ「結婚式願望」であり、かつそのほとんどは「ウエディングドレスを着たい」という執着で、ほんとうにだれかと結婚したいという願望はそれほどないのでは、ということに数年かけて気づきつつあった。
 それでもSNSで「結婚しました」という報告を見かけるとき、よかったね! おめでとう! という祝福と同時に、かすかな痛みとともに羨望がおこる。いいなあ、私はああはなれないのかなあ、という未練。

 いい加減、雑念を払拭して楽になりたい。
 これはやはり、生誕四十周年を記念してウエディングドレスを着るしかないのではないか。そう思って、二〇一九年の年明けごろからひそかにインターネットで情報収集を始めた。
 しかし、検索窓に「ソロウエディング」と入力して、私は衝撃を受けた。

「ソロウエディング 痛い」

  まっさきにあらわれた予測変換に従って出てきたURLをクリックすると「結婚するときに着てこその意味がある服装なのに」「相手もいないのに」……
 たちまちめげそうになった。こういう名前も顔もわからない「みんな」、世間の声に私はとても打たれ弱い。周囲には、わりあい柔軟で一面的な規範にとらわれない人が多いのに、縁もゆかりもない人たちのふりかざす「常識」「良識」に突然絡めとられてしまう。
 また、家族や友人たちはひとのやることを頭ごなしに否定するタイプではないが、ウエディングドレスというものへの思い入れは稀薄に見える人が多かった。そういう方面の憧れが強い友人たちはとっくに結婚して「まっとうな」かたちでウエディングドレスを着用済だ。
 親に何と言われるだろう、という想像も気持ちを滅入らせた。いやいや、もう四十だぞ、自分で稼いだお金でウエディングドレスを着て文句を言われる筋合いなんかないだろ、と理解はしていても、心のどこかで親の顔色をうかがってしまう。
 結婚というシステムに絶望的に向いていないのに、どうして「ウエディングドレスを着たい」などという柄にもない憧れを持ってしまったのだろう。
ソロウエディングのプランが用意されているスタジオのウェブサイトもキラキラしていて怯んでしまうし、プロにヘアメイクをしてもらったところで写真うつりは抜群に悪いし、なにも高いお金を払ってウエディングドレスを着なくても……という消極的なほうにどんどん傾き、決心がつかないまま四十歳の誕生日は着々と近づいていた。

 ところで二〇一九年、私は電子書籍のお仕事をいただいて毎月ヒーヒー言いながら書いていた。出版社を舞台に、仲のよくない編集と営業の女二人が婚活に失敗しながら距離を縮めていく、というガールズラブだ(ちなみに二〇二〇年二月に完結した。『オフィスに百合は咲きません』全九巻、電子書店にて好評配信中です)。
 意識しているわけでもないのに、わりと結婚や結婚式が出てくる話を書いている。書くためにインターネットでいろいろ検索しているうちに、あれ、私また同じようなことを調べているな、という既視感に襲われて、気づく。
 九月の終わりのあのときは、主人公たちがウエディングドレスの試着をする場面が難航して唸っていた。実際に友人のドレス選びに付き添った経験から思いついた展開なのだが、さすがに五年も六年も前のことで細かいことは忘れている。参ったなあ、と思いながらウエディングドレスの画像をぼんやり眺め、その流れで、何度も見たフォトスタジオのソロウエディングのプランをひさしぶりに見に行った。
 そこで「無料カウンセリング&試着のご予約はこちらから」という一文に、はじめて目がいった。

 あれ、これ、もしかしなくても「取材」できるのでは。

「いつか何かを書くとき役に立つかもしれない」は私にとってもっとも便利な動機であり、言い訳だ。やりたいことをするのにもう一歩勇気が出ないときや、踏み外してやらかしてしまったときなど、「いつか何かを書くとき役に立つかもしれない」と自分に言い聞かせることで私は自分を鼓舞したり、慰めたりしてきた。たとえば、GLAYのファンクラブに入ってよいものかものすごく悩んだ高校三年生のときも、最終的には「いつか何かを書くとき役に立つかもしれない」という理由で入会に踏み切った。
 ロックバンドのファンクラブ会員になるという経験を作文に役立てられたことはまだないが、このタイミングでのウエディングドレス試着体験は、百パーセント、作品に反映できる。描写の臨場感を増し、確実にクオリティを上げられる。一応、試着だけなら無料だし。
 すぐにスケジュールを確認すると、締切までの一週間ほどのあいだに奇跡的に一コマだけ空きがあった。「仕事のための取材」という最強の大義名分を得た私は、そのまま勢いで申し込みを済ませてしまった。

 申し込んだのは「ソロウエディング 東京」などのキーワードで検索するといちばんに上がってくるAというフォトスタジオだ。ブライダルフォトの一環としてソロウエディングも受け付ける、というスタジオもあるのだが、スタジオAはソロウエディングをひとつの看板にしていて、心理的なハードルが低かった。
 約束した時間に受付に赴き、お茶を出されて待っているあいだに、先客が会計を終えて帰ってゆく。そもそもカウンセリング&試着の予約がほぼ埋まっている時点で当然なのだが、自分以外のソロウエディングを実行しようとしているひとを現実に目の前で見て心強かった。担当してくれたスタッフさんの対応もフラットだった。動機を訊かれたので「四十歳になるので」と正直に答えたのだが、節目の年齢をきっかけに訪れるひとは少なくないのだそうだ。
 試着した以上は「やっぱりやめます」とは言いづらいだろうし、いちばん安いプランは三万円程度とはいえいざ着たら満足できずに高いドレスを選んでしまうとわかっていたし、ウエディングドレスは着るだけで十万円単位で金がかかる衣装だということも知っていたので、金額については覚悟していた。ぼんやり想定していた予算の範囲内だったので、即決してその場で支払った。高揚感もあったけれど、ちょうど東京都内の1Kの一カ月の家賃くらいの金額を突っ込むことへの葛藤はもちろんあった。
 これだけあれば国内ならかなり贅沢な旅行ができるし、海外でも香港や台湾、韓国あたりまでならゆうに行ける、そのほうが有意義だったのではないか、ほんとうにこれでよかったのか、という思いは何度もよぎった。

 そのたびに、いいやこれでよかったのだ、と自分に言い聞かせながら思い返したことがある。

 あるとき、ブックマークにフォトウエディングをしてくれる式場やスタジオのウェブサイトが無造作に放り込まれているのに気付いた。婚活ものを書くための資料としてウエディングドレスのカタログやブライダルサロン、結婚式場などを調べてはいるけれど、こんなの検索したっけ、おぼえがない……としばらく考え、思いあたって心臓が止まりそうになった。
 これは物語のキャラクターではなく、私自身の挙式のための調べものだ。
 そうだ、フォトウエディングを挙げたいと本気で思っていたことがあった。清澄白河の2DKに、元交際相手と住んでいたころ。

 話は少し遡る。二〇一一年の東日本大震災のあと、チケットを取っていたライヴの中止に自分でもびっくりするぐらい落ち込んだ私は、急激に弱気になり、いつまでもバンドマンに熱をあげていないで、地に足のついた相手と現実的な関係を築いたほうがよいのではないか、と思いはじめた。
 それはこれまでの「みんな当然のように恋愛をしているのに、一度も恋愛経験がない私はどこかおかしいのではないか」「私もみんなと同じ『ふつう』だということを証明するために恋人がほしい」という不安からくるあせりよりは、一段階切実なものだった。切実だったせいか、いわゆる婚姻につなげることが可能な「恋人」が、生まれてはじめてできた。二〇一二年のはじめのことだ。
(まわりくどい書き方をしているのは、このとき恋愛関係ではないもののほとんどパートナーと呼ぶしかない間柄の非常に距離の近い友人がいたからで、当時もいまもこの友人のほうが元交際相手よりも私にとって重要な存在だからだ。もっとも、このときの私の混乱のせいでこの友人とは音信不通になってしまった。この話は長くなるので、べつの機会に。)
 切実だったとはいえやはりあせりはあせりでしかなく、すぐにうまくいかなくなった。しょっちゅう携帯電話を握りしめて検索窓に「彼氏 別れたい」と打ち込んでいた。それなのになぜか一年付き合ったあたりで一緒に暮らすことになった。このころの自分の精神状態はよく思い出せない。同じ家にいれば平日の夜を元交際相手との時間にあてられるので、土日は他の友だちと遊べるのでは、などと考えた気もする。心底ばかばかしい発想だったと、今は思う。
 一緒に暮らして、それでうまくいったわけでもなかったのに、「結婚」という話が出た。相手が言いだしたのではなく、むしろ私が「恋人と同棲している」という状態に耐えられなくなって(いまこうして文字を打つのもかなりつらい)「結婚」という語を口にしたおぼえがある。そもそも物件探しをしていたときは、不動産屋に提出する書類の続柄は建前上「婚約者」と書いてもいた。われながらまったく現実感がなく、思い出しながらも他人事なのだが、私は結婚の一歩手前、あとは届を提出するだけというところまで接近していたのだ。

 そうして結婚の一歩手前で、ひとりでフォトウエディングのスタジオを探した。お金もないし、写真だけ撮れればいいや、と思った。相手にろくに相談もしなかった。書いている小説の作中に出す結婚式場のモデルを探すのとほとんど同じ感覚だった。
 完全に相手不在のまま、実際の生活としての「結婚」ではなく、うわべだけの「結婚式」への憧れをひとりで暴走させていた自分に心底ぞっとする。その後まもなく関係は破局し、私は実家への一時退却を経て一人暮らしに戻ったので、事態がそれ以上悪くなることは回避できたが、それにしても無惨な話だ。相手にも申し訳ないことをした。
 もう同じ過ちを繰り返したくない。絶対に。
 そのためにはやはり「ウエディングドレスを着たい」という願望をここで成就させる必要がある。このさき二度とその願望に引きずられて愚かなことをしないで済むなら、ひと月ぶんの家賃くらい安いものだ。

 体を張った潜入取材のおかげで原稿はなんとか仕上がった。
 仕事先に提出した段階で半分ぐらい終わった気分だったが、ここからが本番だ。

 当日はスタジオ専属のスタッフさんがヘアメイクを施してくれる。
 なりたいイメージの画像があったら持ってきてほしいと言われていたので、通勤の電車の中や職場の昼休みにインターネットでよさそうなものを探した。「ブライダル ボブ アレンジ」などのキーワードで検索をかけつつ、結婚するわけでもないのに私はいったい何をしているのだろう、と百回ぐらい自問した。が、こういうときは自分の意志を強めに持ち、なおかつそれを正確に伝えられたほうがよい結果になると経験則で知っていたので、心を無にして見つけた画像を持っていった。
 その甲斐あって髪型は希望どおりのダウンスタイルに仕上げてもらえた。スタッフさんが髪飾りをいくつか組み合わせてあしらってくれて、そのアイディアに感動した。

 どうにも興味を持てないので見た目を構うことは何もかも不得意だが、メイクはとくに苦手意識が強く、お手上げだったのでおまかせした。コスメカウンターでタッチアップしてもらったことも一回あるかないかで、ひとにメイクをしてもらうのは少なくとも十年ぶり以上だったと思う。
 私は例の同居生活を解消した直後に反動から眉なし・黒マスクでライヴに出没していた時期があり、その時期に長年手こずっていた荒れ地の雑草のような生え方の眉毛を全部抜いて更地にしてしまった。おかげでほぼ何もないところにいちから眉を描かねばならなくなり、毎日苦心しているのだが、スタッフさんも眉を描きにくそうにしていたので、私の眉の難易度の高さを再確認してなんだかホッとした。「右の眉が上がりやすい表情筋ですね」という有意義なアドバイスもいただいた。
 自分の顔だちが好みのそれと骨格レベルでかけはなれているため、最大限きれいにメイクしてもらってもそこまでの感動は正直ない。それでも、最大限きれいにしてもらった、というのはわかった。

 純白・袖つき・トレーンたっぷりのドレスと、生成り・肩が出る・リボンとビーズ刺繍たっぷりのドレスのどちらがいいか悩んで、後者を選んだ。体型をカバーできるのは前者のようにも思えたが、この際とことん自分の好みのものを着ることにした。
 撮影でも「顔のアップなどは要らないので、なるべくドレスを撮ってください」などリクエストしたいことはあったけれど、さすがに言いだせなかった。笑顔で写真に写るのも下手なのでうまく笑えるかばかり心配していたが、表情をつくるよりポーズをとるほうがよほど大変だった。フォトグラファーさんの指示にしたがって立ったり、座ったり、指定されたポジションに手足を運んだりするのが意外にたいへんで、バランスがとれずよろけたり、足がつりそうになったりした。うつくしくポーズをとるには体幹の強さや柔軟性の高さが必要なのだと思い知った。かっこよく写真を撮られているひとたちはすごい。

 いっぱいいっぱいのうちに撮影は終わり、放心しながら帰宅した。ウエディングドレスやブライダルのメイクが自分に似合っているのかどうかはまったくわからなかった。

 写真はその場で全カットをデータでもらった。事前のカウンセリングで写真は何かに使うのか、両親に見せたりするのか、と訊かれて、私はおどろいて「いいえ」と即答した。ただそのときは親には見せられなくても、友だちには見せびらかすつもりでいた。
 けれどデータを焼いてもらったディスクは封筒から取り出すことすらしなかった。写真を見せるどころか、ソロウエディングをしたということも誰にも話せなかった。

 そんなわけで、ソロウエディングは私にとって晴れがましいだけの経験にはなってくれなかった。
 けれど無駄ではなかった。やってみてわかったことがいくつもある。

 いちばん重要なのは、私には花嫁への憧れはない、とはっきりわかったことだ。
 ヘアメイクの最中に「お嫁さま」と声をかけられて本気でぎょっとしたし、同じ花嫁衣装でも白無垢にはまるで興味がなかった。ほんとうに、ただただドレスが着たかっただけなのだ。結婚や花嫁というより「お姫さま」願望だったのかもしれない。
 宝塚大劇場のステージスタジオで『エリザベート』のシシィのドレスで写真を撮るのでも気が済んだのではないか、それなら二万円でお釣りがきたのに……などとも思ったが、やはり「ウエディングドレス」でなければならなかったのだとも思う。

 後日、お世話になったスタジオAから「独身の日」にちなんだソロウエディングの広報イベントへの招待メールが来た。おそるおそる同行してくれる人を募ってみたところ、友人が興味をもってくれたので、行ってみた。
 このときのほうがぜんぜん楽しかった。前回ウエディングドレスを着たから今回はカラードレスにしようと決めて着た赤と黒のドレスも、同じく前回はダウンスタイルだったので今回はキリッとアップにしてもらったヘアスタイルも、ドレスの色に合わせて赤を強めに入れてもらったポイントメイクも、すべてが自分に似合っているとはっきり思えた。
 それらを選べたのは「ウエディングドレスは着たからもういいや」という思いが前提としてあったからだ。

 シャンパンゴールドのゴージャスなドレスを纏った友人と二人での撮影も楽しかった。ウエディングドレスを着たときは、十代から熱狂を捧げてきたミュージシャンや、この数年夢中になっていた宝塚歌劇団の男役トップスターのような、「憧れ」そのものの存在であっても隣に立ってほしくはなかった(というか、私は憧れの相手の視界に入るのも拒否したいほうなので、どのような衣装でも隣に立つなど論外ではある)。だけど友人と互いに着飾って、並んではしゃぐのは悪くなかった。
 ここまで考えてようやく気づいた。「結婚したいひと」のイメージが「ウエディングドレスを着たとき隣に並んでほしいひと」で、しかもそこでまっさきにミュージシャンや男役トップスターを思い浮かべて「絶対に無理!」となってしまう私の思考回路は、おそらくいちばん最初から間違えている。気がついたら隣りにいて、その状態があたりまえでリラックスできて、婚礼衣装を着たお互いの姿に笑っちゃったりして、楽しいね! と思える、そういうひとが、結婚したら幸せになれる相手なのではないか。

 このさき私の人生の選択肢に「結婚」という可能性があらわれたとして、そのとき私は「結婚」の二文字を指輪でもドレスでもなく「生活をともにしたいと思うひととの生活」という意味でとらえられるだろう。結婚式というイベントへの未練ももうない。
 あ、いや、結婚式のBGMに好きなバンドのラブソングをふんだんにちりばめた渾身のセットリストを組みたい、という願望がまだあった。それはべつの機会にちょっとしたパーティーを主催して披露することにしたい。そのときはぜひ、みんなとびきり着飾って遊びに来てほしい。

Farewell to the wedding dress; 2020.04.01
LINEで送る
[`evernote` not found]