微熱

 今年の冬はずっと風邪のウイルスを保菌しているような感じがする。寝込む程具合が悪くなりはしないのだけれど、喉はなんとなく痛いし鼻もすぐ詰まる。ときには頭が重くなって、いよいよ発熱かと思って熱を計ると、三十七度弱の微熱で落ち着かない。 

 ここのところ家に居てもアルバイトをしていても、どうもテンションが上がらないし、声も余り出なくて、怠い。理由は自分でもなんとなく解っていて、多分私は、決して繋がることの出来ない人に熱量を燃やしていることに疲れたのだと思う。
 あの人達のために本当に膨大なカロリーを費やした。十日続けてバイトに行ったりチケットを取るために七時間も電話をかけ続けたり、他人が聞いたら馬鹿げていると思う事を当たり前のように幾らでもやった。夏には蒸し風呂のような幕張メッセで、ラッシュ時の山手線並みの人混みの中を汗だくになりながら延々と並んだ。大晦日には寒空の下震えながら、やっぱり延々と並んだ。群馬までライヴを見に行って終電を逃し、高崎駅の構内で朦朧としながら一晩明かした事もあるし、チケットも無いのに日本武道館の前まで行って漏れてくる音に必死で耳を澄ませたこともある。
「そのエネルギーが恋愛に向いたら物凄い大恋愛をしそうだね」と周囲の人によく言われる。出来る事なら私だってそうしたい。バイト先のCD店の社員や、演習のグループ発表を一緒にやった男の子や、紹介されて飲みに行った高校時代の友達の先輩や、ともかくそういう触われる距離の人達のうちの誰かを、なぜあの人のように想えないのか自分でも不思議だ。
 世の中の人が恋だ愛だと騒ぐのがいまひとつわからないでいたけれど、私があの人に対して抱えている熱と同じ温度で想える人が身近に居て、その人も私の事を好きでいてくれて、じっと目を見て話をしたり手を繋いで歩いたりするような事があったなら、それが恋愛なら、それは確かにとてもすごいことでほとんど奇跡的でこの上なく素晴らしいような気がした。
 そんな事が出来たら、どれだけ寂しくないだろう。
 私が燃やし続ける熱は紙幣になって街を流通して消える。満たされたくて、私は馬鹿みたいにただ雑誌だのビデオだのを買い漁る。優しい恋人との甘い退屈な時間と、ライヴの血液が沸騰するような高揚感を引き換えられるとは思わない。思わないけれど、ライヴはときどき終わった後の虚脱感が激しすぎて、一週間ぐらい平気でぼんやりしたあげく、夢から覚めた虚しさに襲われてしまう。
 それでも私はあの人を想うように近くにいる誰かを想えない。椎名林檎の「同じ夜」を聴いていたら不意にそれを思い知らされた。どっか壊れてるんじゃないのかと本気で思った。

 冬休みが明けてもそんな精神状態で、期末試験があるというのに私は気まぐれに大学に行ったり行かなかったりした。幾つかの単位を無駄に落とした。私は楽観的なタイプなのに、何を考えても最後には憂鬱になって、参った。
 無性に活字が欲しくなって、何の気なしに吉本ばななの「キッチン」を読んだのも間違っていた。読み終わったら悲しくなった。文章に漂う透明な悲しさに打たれたからではない。色々なものを失うけれど、傍らには常に優しい男性がいる主人公たちに嫉妬して、自分の存在をどうしようも出来なくなってしまった。

 眠る前に闇の中で取り留めのないことを考え続けた。大学で何もしていないのがいけないんじゃないか、スタッフ募集のチラシを貼りだしている芝居の手伝いをやってみたらいいんじゃないか、いや四月から乗馬サークルに入ろう、英語を勉強しよう、もっと大学生らしい生活をしなければ……とここまで考えて、私は春からのツアーを取り敢えず手当たり次第に申し込んだ事をはっと思い出す。
 そうだ、今年は全国廻ろうと思ってたんだった、そのためには大学なんか一番に犠牲にするつもりだった。サークルに費やすお金も時間もない。
 でも、あの人をいつまでも追い掛けたところで何の実りもないのだから、もう止めるべきじゃないか……。
 私はこういう思考にしょっちゅう陥る。いつも心のどこかで、今している生活は間違っている、本来の生活をしなければと思っている。現実にはどうやっても出来はしないので精神的に疲れるだけなのに、その思考を捨てられないでいる。
 そのときも、チケットが一箇所も当たらないといい、もう止めよう、と思って眠った。しかし翌朝には、前の晩のことなどきれいに忘れて、当選なら葉書がそろそろ来るなあ、とそわそわするのだ。いつもそうだ。
 結局駄目なのだ。頭でいくら理屈をこねたところで、あの人に全てのエネルギーをぶつけるのを止められる訳じゃない。
 だから仕方がない。
 私には私の幸せがある。
 そんなことはわかっているのに。

 ……こんなことばかりぐちゃぐちゃ考えて毎日毎日過ごしていたら本格的に怠くなり、熱を計ってみた。いつものように微熱だった。憂鬱だったのはカウントダウンライブの後の虚脱感の所為でも吉本ばななの所為でもなく、微熱の所為だったらしい。
 恋が出来ないのが悲しかったのではなかった。
 単なる風邪だった。

what is love?; 2000.01