19990731



 日々罵りながらも立ち読みを欠かさない音楽雑誌、ロッキング・オン・ジャパンのゆずの「嗚呼、青春の日々」についてのレヴューが忘れられません。

「……売れたミュージシャンが手にした夢の生活と、ふと周りを見渡した時のいわゆる"普通の暮らし"とのギャップ。望んだはずのものと引き換えに失くしたものを、立ち止まって比べてみる。……(中略)……ここでB'zは<イエス、自分は間違ってない>とし、<止まれないこの世界で/胸を張って生きるしかない>と打破した。俺はスターだ、全うするぜ! と言い切っている。
 同じ2人組でも星柄の短パンを穿いたりしないゆずは、『そっちの世界はいったいどんなんだい?/俺もそのうち行くけどさ/そん時までめーいっぱい/自分なりに生きてゆくよ』と、売れても相変わらず庶民臭くてなんだかホッとする。あくまでも"こっち側"っぽいのだ。……」
(上野三樹、ROCKIN'ON JAPAN 2000年6月号より)

 文中でB'zとゆずが対比されているけれど、多分これはゆずのレヴューだから、この場合筆者(そして読者)はどちらかというとゆずの方に共感をおぼえる、そんな風に書かれている文章なのでしょう。けれど私は、このレヴューを読んで、ゆずが良いとか悪いとかではなくて、「ああ、やっぱりB'zって凄い、カッコイイ」と思いました。
 ミュージシャンが振りかざす、「庶民的」「等身大」という言葉が私は嫌いです。だってそれは嘘だから。

 私が大好きなGLAYというバンドも、「等身大の魅力」と言われ続けてきました。

 1999年7月31日、幕張メッセで行われたGLAYの20万人ライヴは、もの凄いイベントでした。TVのワイドショーなどで映像を見て、あぜんとした人も多かったであろうあの場所に、去年、私もいました。
 無茶苦茶なライヴでした。とにかく暑い中をひたすら並ぶ。どこへ行こうとしているのかもよく解らないまま、蒸し風呂のような建物の中に満員列車さながらに人が詰まって流れていく。そこから解放されたあとは、炎天下のライヴ会場で始まるのを待ち続ける……。
 20万人という人の多さはその場にいたときはまるで解らなかった。ライヴも、そこにいながら何が行われているのか私にはよく解らなくて、次の日のタブロイド紙の写真で初めてメンバーの衣装を知る始末でした。私があのライヴで感じたものは、ただ、どうしようもないくらい、悲しくなるくらいの遠さでした。

 そして、そんなにもGLAYは遠いのに、それでもなおGLAYのどこが好きかと問われて「隣のお兄ちゃんみたいなところが好き」だと答えるファンが悲しかった。「あんな凄い人気なのに、普通っぽい」などと言われるGLAYが悲しかった。
「等身大」の「隣のお兄ちゃん」な「普通」の人が、20万人も集められる訳がないのに、世間は彼等の魅力を「等身大の魅力」だと言って、彼等も庶民ぶろうとする。そんな訳ないのに。特別で、凄くて、雲の上のひとで、別の世界に住んでるくせに。
 一見すぐ隣りにいて手が届きそうなのに、本当はとてもとても遠いところにいる。そんな悲しい事ってないじゃないですか。
 GLAY EXPOは、私にとってそういうことを肌で感じたイベントでした。

 一年たった今になって、あの20万人ライヴはとんでもない何かだったのではないかと思い始めています。あのライヴの翌日のサンスポの見出しに「怪物降誕Great!」っていうのがあって、大仰だよ、と笑ったおぼえがあるんですが、確かに怪物だったと笑い事でなく思います。
 20万人ライヴについて、ほとんどの音楽雑誌は「凄い」「凄い」ばっかりで、あんな異常なイベントをやってしまったGLAYという異常な存在について突っ込もうとする記事を見なかった事にも、今年になって気がつきました。(それこそロッキング・オン・ジャパンあたりが取り上げてもいい気がしますが。)

 流石に最近ではGLAYも以前ほど「庶民的」などと言われなくなってきましたが、メンバー(特にTAKUROさん)は、今でもファンとの距離が近いことをアピールして(るように少なくとも私には見える)います。そういうことをされると余計に距離を感じるから、いっそ「俺はスターだ!」と言い切ってくれたらいいのに、とひねた私なんかは思ってしまうのです。

 まとまらないのですが。一年前の同じ日を振り返って、ぼんやり思った事です。



2000.07.31
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